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弱者を比喩に引き摺り出さないよう

2003317

宇佐美 保

 テレビTBS1月22日放映のnews23に於ける「多事争論」に於いて、筑紫哲也氏は“「クラスの中に劣等生がいると、そのクラスは和やかになるものだ。他の生徒たちは『彼よりは自分はマシだ』と思えるからだ」。国際社会での現在の日本の位置というのはそれに良く似ている、ということを民主党の国際通の国会議員である岩國さんが最近あるところで書いております。 ┄┄”と、日本を「劣等性」に譬えて語り始めました。

私はびっくりし、憤慨しました。

 

 日本が劣等生か否かは兎も角、たとえ他人の発言であろうと、『劣等生より自分はマシだ┄┄』と言う発想は,明らかに「劣等生」に対しての心ある発言とは決して思えません。

これでは、「劣等生」の存在が、クラス全体の「敷石的存在(最低の存在)」でしかありませんか!

「劣等生」の人格はどうなるのですか!

この発言から、筑紫氏の心の冷たさを感じました。

 

 こんなにも心の冷たい人は筑紫氏だけかと思っていましたら、「AERA2003.2.10」にて、編集部の諸永祐司氏の署名での、「新生銀行の損逃れ西武支援の評判」の記事中で、“新生銀行は、クラスでいじめられる帰国子女に似ている。見かけは日本人でも、メンタリティーはアメリカ人。いまだに横並び意識の色濃い「金融村」では異色の存在といえる。

それだけに、いまも非難を浴びている。(中略)

3月以降、「伝家の宝刀」を失うことになる新生銀行の先行きに不安はないのだろうか。

 旧長鈍から譲り受けた26千億円の不良債権を、現時点で4000億〜5000億円まで圧縮するなど、新生銀行のビジネスモデルは成功しているようにも映る。

この「帰国子女」、いつまでも成績優秀でいられるのか。”と書かれています。

 

 諸永祐司氏は記事の冒頭で、「帰国子女が、クラスでいじめられる」事を認識しています。

このような気の毒な人達を何故こんな比喩に登場させるのでしょうか?

そして、更に、酷い事には“この「帰国子女」、いつまでも成績優秀でいられるのか。”と書かれるのですから。

これでは、『「帰国子女」が「成績優秀」なのは、当座だけでの、まるでメッキ状態であって、いつかは剥げ落ちるのだ』と語っているのではありませんか!

こんな冷たい記事を書く方(諸永祐司氏)が、AERAの編集部の方なのでしょうか?

 日本は全てが狂い始めたのでしょうか?

 

 日本全体だけでなく、このお二人が特に完成が欠如している為でしょうか?

それにしても変ですね。

 

 今は亡きチェロの巨匠パブロ・カザルスは“最近は、物質的な物、娯楽などに心を奪われ、人間の基本的な感情、感受性が失われつつある”と嘆かれていました。

(DVD:DVLC-1060より)

感受性の欠如した心から、視聴者への心へ、どんなメッセージを送る事が出来ると言うのでしょうか?

 

筑紫氏は、音楽界の会場でそのお姿をお見受けしますが、音楽から何を受け止めているのでしょうか?

不思議です。

どうか筑紫氏は、このカザルスの言葉を真摯に受け止めて頂きたいと存じます。

 

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